たぶん、彼は私のことが好きなのだと思う。
……そのことが嬉しい反面、嫌だと感じるのも事実。
彼からメールや電話がきたり、食事に誘われたり。
体調を心配されたり。…些細な変化、例えば顔色が優れないとか。
そんな自分でも見落としがちな事をあの優しい声で問われると、嬉しいのだ。
胸がふわりと温かくなって、微かに心がときめく。
…けれどそう思う反面、煩わしいと感じてしまうのも事実だ。
メールや電話がくると、なんだか彼に干渉されている気分になる。
たとえそんな気が彼に無くても、そう感じてしまうんだ。
「食事にいかないか?」と予定を訊かれるときが、一番そう感じる。
「なぜわたしの予定をあなたに言わなくてはいけないの」
食事の予定をつけるためには、私のスケジュールを告げなくては始まらない。
わかっているんだ、わかっている。
あたまではわかっているけど、心が追いつかないんだ。
――わたしは、あなたのものではない…と。
彼はとても良い人だ。
それは世間一般の評価でもそうであり、私の中の評価もまたそうである。
けれど彼はいい人であって、いい人以上ではないんだ。
…冷たいようだけど、極端な話だけど、
たとえ彼と手を繋ぐことがあっても、それ以上のふれあいは想像できない。
いや、想像したくない。
彼が求めても、私は彼が求めるものをあげることはできないし、きっと彼を求めることはない。
だけど彼は良い人だ。
何か嫌な事があったり、上手くいかないことがあったら、真っ先に彼に話を聞いてもらいたいと思う。
そして終わりの無い、まとまりの無い、混沌と鬱積した感情を吐き出したいと願うんだ。ただあの優しい声で「それで」と「そうか」と。ただきいてもらいたい。ただ私の言葉に頷いて欲しい。
ただ彼とはそういった関係でありたい。
これは私のエゴであるのはわかっている。
彼が私のそういった話に耳を傾けるのは、私とそれ以上の関係を望むが故という事も、子どもではないから理解している。…子どもではない、私はそういう彼の気持ちを利用して、そこに甘える。
優しい彼は、己の求める気持ちを抑えて、いつまでも優しい彼でいてくれる。
……私は、卑怯だ。
解っているけど、この甘い優しい彼を突き放せない。
私は、独りじゃ生きていけない。
でも干渉されたくない。
なのに、誰かの優しさがなければ明日を迎えるのが絶望的に思える。
ごめんねと罪悪感を感じる。
けど、彼は優しい良い人というだけの人で。
全てをゆだねる事が出来ない人。
たぶんこの関係はそう長くは続かない。
けれど、その終わる日まで、私は彼に甘えるのだろう。
そして彼も、終わりを迎える日まで私をもとめるのだろう。
いつか迎えるその終わりの日が、
永久に遠く、そして刹那に近くあって欲しい。
今日ではなく昨日で、明日ではなく今日で。
そうあって欲しいと私は願っているのだ。たぶん。
PR
- 2007/11/14(水) 08:58:29|
- 現代|
-
トラックバック: |
-
コメント:0